さまざまな業界の方に「あなたなら宇宙をどう利用する?」をテーマにインタビュー。第1回目は、Bioindustry in Spaceの実現に向けて精力的に活動されている、合同会社メドテックコンサルティング代表社員の金森敏幸さんにお話を伺いました。
「2030年の国際宇宙ステーション(International Space Station: ISS)の運用終了を視野に入れ、LEO(Low Earth Orbit: 地球的軌道)の商業利用が本格化していますが、バイオ産業も期待される分野の一つです。欧米との厳しい競争の中、日本独自の物作りを復活させ、Bioindustry in Spaceで世界におけるプレゼンスを確保したいものです。」
● お話を伺った方:
合同会社メドテックコンサルティング
代表社員 金森 敏幸(かなもり としゆき)さん
● プロフィール:工学系の応用化学科、およびその大学院修士課程を修了後、総合化学メーカーに就職しました。当該メーカーを依願退職後、出身研究室に戻り、助手を務めながら工学(博士)号を取得しました。その後、産業技術総合研究所で30年近く勤務し、専門である生体化学工学と企業での勤務で得た高分子工学の知識を駆使して、医療分野への応用化学技術の展開に務めてきました。2023年春、合同会社メドテックコンサルティングを設立し、既存産業の医療分野への技術移転のお手伝いをしてます。
ISSの後継機をどうするかということが議論されています。また、米国政府から発表された、月面移住を目指したアルテミス計画、その中核をなすGateway構想など、単なる宇宙への進出だけではなく、その商業利用が非常に活発になっています。宇宙産業の規模も、2020年の43兆円から2040年には120兆円になるという見積もりもあります(月刊事業構想, 2021年12月号)。
ISSの目的は、微小重力環境を生かした実験、あるいは、将来の人類の宇宙進出を見据えた実験を行うことですが、その結果が宇宙での産業育成に繋がることが期待されています。これまで、様々な領域、分野での実験がISS上で実施されてきましたが、その中には生物学的実験も含まれます。宇宙メダカは有名ですが、昆虫、両生類、あるいはネズミなどの哺乳類もISS上で飼育されていますし、菌類やバクテリアなどの微生物、ヒトを含めた動植物細胞の培養も広く実施されています。物質を対象とした、いわゆる無機質的な実験に比べ、生物学的実験は不確定・不安定要素も多く、設備や操作手順が洗練されておらず、地上でもなかなかやっかいな面があるのですが、ISS上でも生物学的実験についての知見、ノウハウを蓄積してきました。
宇宙空間に滞在した宇宙飛行士の身体に何らかの生理学的障害が発生することを、NASA(National Aeronautics and Space Administration: アメリカ航空宇宙局)では宇宙開発の初期段階から把握しており、これまで膨大なデータを蓄積、解析してきました。さらには、NASAは一卵性双生児を宇宙飛行士として育成し、片方をISSに送り込み、もう片方を地上のISSのモックアップで生活させて、その差異を調べるという大胆な実験を実施しています。
これまでの一連の解析、実験から解ったことですが、驚くべきことに、重力の有り無しで密接に関係しそうな筋肉や骨などのみならず、肺や心臓、腎臓など、多くの体内機能に障害が出ていました。
一方で、いわゆる生活習慣病と呼ばれる病気が、senescence(細胞老化と訳されます)と呼ばれる現象と密接に関係していることが解ってきています。様々な解析により、宇宙空間に滞在した宇宙飛行士の身体への影響が、senescenceの促進によるのではないか、という仮説が提示されました。丁度同じ頃、ヒト細胞を精密な環境で培養することにより、従来の細胞培養技術では期待できなかったin vivo(生体内)機能の誘導が可能となるMicrophysiological Systems (MPS)という技術について世界中で研究開発が盛んになっており、この技術を用いた宇宙におけるsenescenceの研究が米国において国家レベルで開始されました(Tissue Chips in Space)。既に10回以上、ISSで様々なMPSを用いた実験が行われているようですが、結果の詳細は明らかになっていません。また、これらとは別に、地上で培養した細胞をISSに搭載し、回収して更に地上で培養を続けるという、非常に費用が掛かる手の込んだ実験が実施されています。これらの実験の目的は、アイデアの源泉そのものなので明らかになっていませんが、senescenceが微小重力下で加速されるのなら、senescenceに関わる実験をISSで効率的に行えるのではないか?、ということであろうと推定されます。勿論、長い目で見れば、宇宙飛行士や、将来の宇宙旅行観光客の健康管理にも役立ちます。
最初に述べたように、米国ではアルテミス計画の他、ISSの後継機を民間に任せ、LEOの商業利用が本格化しています。宇宙の商業利用で常に議論となるのは、高コストに見合う価値の創出です。上述のTissue Chips in Spaceはこの点を模索しているものと想像できます。
iPS細胞やES細胞といった、幹細胞を用いた革新的医療技術である再生医療や細胞治療に注目が集まっています。幹細胞は、限りなく受精卵に近い細胞と考えられますので、お母さんの子宮の中と同様、何にも接触せずに培養する必要性があります。これは、重力の影響がほとんど無いLEOでは可能です。性質が揃った種細胞をLEO上で調製し、地球に持ち帰って高度医療に用いるプロセスは、一つの産業として成立しうると考えます。勿論、我が国の国民保険では適用は難しいでしょうが。
前述のMPSを生んだ背景に、動物細胞培養技術の高度化があります。その応用先の一つである培養肉に世界中の注目が集まっています。アルテミス計画あるいは、post ISSやGatewayでは、これまで培ってきたECLSS(Environmental Control Life Support System:環境制御・生命維持システム)を更に高度化して宇宙空間での食のエコシステムを構築せざるを得ません。そこに培養肉の技術を組み込む余地があると思います。
19世紀は化学の時代、20世紀は物理の時代、そして21世紀はバイオの時代と言われるそうで、bioindustryはまだまだ未開の領域です。一方、宇宙開発も本格的に開始されてから半世紀を超えたばかりで、これまた未知の領域です。更に、日本のbioindustryは欧米の2周遅れと揶揄されますが、宇宙開発も同様とお聞きしました。非常に厳しい戦いではありますが、バイオと宇宙は不確定要素が大きい領域の掛け合わせですので、やりようによっては商機があると確信しています。先ずは、かつて日本の製造業を牽引した、物作り精神、の復活を祈るばかりです。